Athée の定義。

Coucou !!

なんだかせっかくの週末に、むずかしいはなしがつづいちゃって申し訳ないのですが・・・。
さきほどの記事、「お寺と神社、教会と大聖堂」のなかで一般化してしまい、お詫びしたい部分があります。

Athée アテ ということばに関してです。

このことば、その記事の中で「無宗教」としてご紹介してしまいました。
訂正させていただきます。

自分の立場に置きかえて、かなり主観で書いてしまったみたいです。
ごめんなさい。

Athée =「無神論者」と仏和辞典にはあります。
フランスにおけるこのことばの定義は「神(の存在)を信じていない」こととなります。

Athée とはもともと theos テオス「神」というギリシャ語からきた thée(辞書にはありません)の反意語になります。

なので「信じている、尊んでいる」ものがあるひとはその対象ががなににせよ incroyant(e) アンクロワイヤン(トゥ)「無信仰」といえないのにたいして、athée「神」の存在を信じていないことが前提です。

「神」がいるかもしれない、いないかもしれない、しかしわたしたちには知ることができない。
という「不可知論」は l’agnosticisme ラグノスティスィスム 「不可知論者」は agnostique アグノスティック となるそうです。
神の存在に懐疑的なひとたちもこの中に含まれます。

あるひとに聞いたところによると、仏教とはブッダを「神」としているのではなく「法」を尊んでいるのだそうです。
これも、仏教徒でないわたしがここで説明できるほど単純なことではありません。

仏教徒が athée といえるかそうでないかは、ひとそれぞれのとらえ方によるかと思います。

こうなると、神学や哲学の域に足を突っ込んでしまうので、このへんでやめておこうと思います。

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さて、一般的な日本人がお墓参りに行くのは仏教徒だからでしょうか。
初詣に行くのは、神道だからですか?

ただそれをならわしとして行っているだけ、「神」を信じていないならば athée であるといえます。

しかし、それでも incroyance アンクロワイヤンス「無信仰」とはいえません。

お墓参りに行くなら「ご先祖さま」や「霊的なもの」をレスペクトしていることになるから、そして初詣に行ったりお宮参りしたりするのは、たとえそれがしきたりだからにせよ、なんらかの「宗教上の儀式」として実際に行っているからだそう。

だから、わたしの例では athée であり bouddhiste ではないけれども incroyante でもない。
というとってもややこしいことになってしまいます。

仏法をレスペクトしていないのだから bouddhiste であるとはいえないし認めたくない、でも法要などの行事には参加しているのだから incroyante ともいえず、ただ神を信じてはいないし、お参りや初詣なども普段は避けているので athée でしょう。

日本人の宗教に対するとらえ方は非常にあいまいだと思います。
ほんとうに、ひとそれぞれなのではないでしょうか。

神を信じていなくても神社に行く、いわゆる athée であり incroyant(e) ではない、というひとが、ぱっと見ただけでは一般的にみえました。

でもよくよく考えてみると・・・

わたしたちは建物を建てるときや撮影前など、ある土地をつかってなにか大きなことをはじめるときなんか、神主さんに祈祷してもらったりしますね。

それがただのしきたりの「厄払い」になるのか、「神」という存在を信じて安全祈願をしているのか。

木を切ったときに事故が起きるのをおそれて道のほうを迂回させたりしますね。

それは木に宿る魂のようなものを尊んでいるのでしょうが、その魂が「やおよろずの神」のひとつととらえているのか、ただ単に「木の魂」「木の命」を敬っているのか、とても曖昧で一概にどうだとはいえない部分だと感じます。

本当に、ひとそれぞれのとらえ方であり信念であり、また「そうするのが習慣だから・・・」なんて考えもあって。

「だいたいの日本人が athée である」としてしまったことは間違っていました。

申し訳ありませんでした。