フランス語を話す「子ども」。
Coucou !!
最近、アクセス解析なんかを見ていると、
「フランス語をうまく話せるようになるには」
「早く話せるようになりたい」
っていう感じの検索でいらっしゃるかたが多いみたい。
なので、ちょっと今日は、日頃から思っていることを・・・ちょっとまじめに、わたしの方法論です。
ひとそれぞれ、いろんなやり方があるのだから、あくまでもひとつの参考として、読んでみてくださいね。
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よく受ける質問で、「日本語で○○にあたるいい方は?」というのがあります。
わたしも文章を書くのがとても好きなので、(ウマイ・ヘタはまた別として・・・)自分で書いた日本語にピッタリくる表現や単語を辞書や熟語集で探しまくったりしてました。
でも、ことばというものが生まれ、育ってきた背景、根底に流れる文化や歴史・思想などがちがうので、必ずしも同じことば、同じような表現が存在するとは限らない。
わたしも、師匠と話しはじめたころ、自分のいいたいことを正確に伝えようと思って、日本語をフランス語に「置きかえる」という作業をしてました。
だから、ひとこといっては止まり、つぎの単語にあったことばを思いだそうとしたり、辞書で調べたり・・・
それも新しい単語を覚えるきっかけになるし、ひとつの手かも知れないけど・・・師匠にこういわれました。
「ひとつのことば(日本語)に固執して、無理にむずかしい単語を探したり思いだしたりするより、自分の知ってる簡単な単語や表現の組み合わせで、いいたいことを伝えられるようにしたほうがいいよ」
つまり、自分の中にあることばたちを駆使して、いかにいいたいことを伝えるか、表現力をつけなさい、と。
語彙力はそのあとにだんだん、ついてくるものだと。
日本語をフランス語にそのまま置きかえてみると、とてつもなく冗長な文章になってしまいます。
いいたいことがなんなのか、わからなくなっちゃう。
日本語みたいにあれもこれもとことばを並べず、できるだけシンプルに、コンパクトに、表現できるよう考えます。
そうしてみると、日本語ではひとつのフレーズの中で、似たことばをくり返したり、形容詞とオノマトペを重ねたり、二重否定などの遠回しな表現が多いことに気づきます。
それが日本語の美しい部分でもあると思うのですが。
ちなみに、英語の文章でさえ、フランス語にすると2倍ほどの長さになってしまうくらい、もともとフランス語では前置詞などを多くつかいます。
そのかわり、たとえば「〜なふうに・・・する」とひとつの動詞でようすまであらわせちゃうものも多いから、動詞のバリエーションはけっこうあって、慣れてくればだんだん簡潔な表現が身につくんじゃないかな。
だから、最近はフランス語で書くときには、日本語を思い浮かべてから置きかえていくのじゃなくて、最初からフランス語で考えるように、ということは心がけています。
たとえばおなじ「動物」といっても、フランス語でのそれと日本語でのそれは、どこまでが「動物」でどこからが「動物」でない、なんていう、そのことばのあらわす範囲や概念がちがっていますね。
辞典に「動物」=「animal」と載っているからといって、それが実際に日本人の考える「動物」とイコールではないんです。
会話やセリフなどのフランス語のひとことを、しっくりくる感覚・雰囲気をもった日本語に置きかえるのは、わたしにはまだまだとてもむずかしいことです。
ご存じのかたも多いかも知れませんが、フランス語では、同じ単語・いいまわしをつづけてつかうのはタブー。
日本語でもそういう意識はありますが、比べものになりません。
一度つかったら、その文の前後では絶対といえるくらい、同じことばはつかいません。
だから、似たような表現をつかって、いい方を変えてあげることが必要になってきます。
なんかの記事を読んでちょっと笑っちゃったのが、政治家のえんえんつづく演説なんかを聞いていると、ちがう表現で同じ内容をくり返しているだけで、結局いいたいことはひとつだった・・・なんてね。
学校で論文を書くときなんかもそうなんだって。
いかにちがった表現で同じことをいえるか・・・という教育が、フランスでは小さいころからされているのは事実のよう。
わたしはむこうで教育をうけたことは全くないので、自分では確かめたことないけどね。
ところで、子どもたちの表現力ってすごいなー、って思ったことありませんか?
彼らは自分が覚えたまだ少ないボキャブラリーを一生懸命つかいまわして、大人が考えつかないような未知の表現で、彼らの思ったことを伝えてくれます。
正しく話そう、うまく話そうなんて気もちは彼らには毛頭ない。
とにかく、「どうやって伝えるか」そのほうが強いから、くちからどんどんことばがついて出てくる。
そして伝えようという気もちもハンパじゃない。
自分の中のことばをなんとか組み合わせて、こちらが想像してなかったとんでもない表現をしたりする。
だから、おもしろいんですねー。
大人は、まちがえることが怖くなっちゃう、だから話せない。
フランス人みたいにきれいに話そうと思うからくじけちゃう。
「話せない」んじゃなくて、「話さない」んだと思うんだ。
自分を、フランス語を話す「子ども」だと思っちゃうとラクチン。
「初心者」じゃなくって「赤ちゃん」なんだ、ってね。
知らないことばかり、まちがえるのはあたり前。
これから、たくさんまちがえながら、いろいろ学んでいくんだもん。
ぴったりくるいいまわしを知らなければ、わたしは勝手に組み合わせてつくっちゃいます。
「やかんのお湯が沸騰してピーピー鳴ってるから行かなくちゃ!」といえなければ、「大変!やかんがわたしを呼んでる!」でいいんです。
これだって、じゅうぶん伝わるんです。
「ものすごくたくさん(星の数ほど)ある」っていう表現が、フランス語でとっさに見つからなければ、
とそのままいっちゃっていいんです。
ユーモアのあるフランス人は、だらだらと正確に説明するよりも、そういうシンプルな表現をよろこんでくれます。
大人が子どものことばをおもしろがるみたいにね。
気に入ったら、彼らのボキャブラリーとして、つぎの会話でつかってくれることも。
「日本語ではこう表現するんだ。」とつけくわえれば、「おもしろいなぁ、フランス語ではこういうんだよ。」なんていいながら、フランス語での表現を教えてくれたり。
そういうときに、フランス語らしい表現をしっかりと記憶にのこせばいいんじゃないかしら。
母国語でないわたしたちにとって、フランス語に存在する数多くの語彙・表現を知るのは途方もなく時間がかかることだと思います。
だから、ある程度基礎ができたら、むやみに難しい単語や表現まで暗記するよりは、ひとつの文章をいろいろないい方でいくつにも作りかえる、そんな機転と柔軟さを育てたほうがいいのかな、と感じています。
試験に受かるためのフランス語じゃなく、表現するための「自分のことば」として取りいれたいなら、ね。
そうしている中で、語彙も自然に広がっていくんじゃないかな。
暗記しても、普段つかわないものは忘れちゃうもん。
それに、単独としての暗記だと、日本語とフランス語で微妙に概念のズレたことばたちを「イコール」で結んでしまう危険性があるからです。
広く浅くではなく、知っていることばのひとつひとつを深く掘り下げて、それ自体のもつ概念やニュアンスを知るのは大切なことです。
なるべくたくさんのフランス語にふれること、暗記ではなく、自分の感覚でていねいに感じとっていくこと。
そんなにすぐできることじゃないけれど、「急がばまわれ」で、それが近道なんじゃないかな。
矛盾しているようですが、そこから本当にフランス語らしい表現をする力が生まれてくるものだと思うのです。