フランス語をキライにならない秘訣?

Coucou !!

最近、こんなメールをいただきました。

>> 私はフランス語を習い始めて3年たちました。
>> フランス語のお勉強が嫌いにならずに、続けられる秘訣などありましたら、教えて下さい。
>> 私にはフランス語は難しく、しばしば、お勉強に嫌気がさしてしまいます。
>> よろしくお願いします。

自分にあった学習法が見つかるまでは、なかなか楽しく積極的につづけるのってムズカシイですよね。
どんな学問でもそれは同じだと思います。

とくに独学だと、ひとりで勉強しているぶん、自分がどれだけ進歩しているのかも分からないし、1度考え始めちゃうと、「なんのために・・・?」なんて疑問がタケノコみたいにあっちにぴょっこり、こっちにぴょっこり。

タケノコがぐいぐい根を伸ばして、隣の床を突き破って苦情がきたらもう手遅れ!!(←実話)
竹林ごと引っこ抜かなくっちゃどうにも手に負えません・・・

タケノコの根っこってしつこいんだよね・・・
じゃあ、そのしつこさを利用しちゃおう♪

柔らかくておいしいうちに、旬のタケノコを味わおうじゃないか!
(ちょっと主旨がちがってきた気もしますがドンマイ)

実はメールの送り主さんに、なぜ嫌気がさしているのか、原因をお聞きするのを忘れてしまいました。
ココ、大切でしたね・・・とほほです。

それで、わたしなりに、どんなときにイヤになっちゃうのかいろいろふり返って考えてみたんだけど。

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さて、旬のタケノコをおいしくいただく・・・じゃなくって、わたしがフランス語の勉強をキライにならないためにしていること。

まずは、キライなこと・イヤなことは やらない こと!!

中途半端に「やらない」のでは意味がありません。
本当に興味がわくまで「徹底的にやらない」のです!

読んでいる本の単語がわからなくっても、めんどくさかったら、勝手に推理しながら飛ばしてどんどん先を読んじゃいます。

つまんない問題集なんか、絶対に手をつけちゃダメ!!
「これでグングン語学力アップ」なんて口説き文句にだまされないで!

読まなくちゃいけないメールだって、うわぁ・・・めんどくせぇ、って感じたらごまかしちゃえばいい。
相手に「分かんないから教えて!」って頼んでみるのもいい。

もちろん、わたしもしょっちゅう壁にぶつかっては凹んでます。
それは何を学んでいるひとでもおなじなんじゃないかな?

アインシュタインの有名なことばの中に、大好きなものがあります。

知れば知るほど無知を自覚する。
無知を自覚すればますます知りたくなる。

学べば学ぶほど、自分の知らないことのほうが計り知れないほど多いことに気づいていきますよね。

単純なことからいえば、大切な基本が虫食いだらけだったな・・・とか、文法をあいまいにしすぎたからやり直そうかな・・・とか、表現を知るために文化的な知識を深めてみたいな・・・とか。

わたしは、ものごとには順番はないと思っています。
ただ、ものごとには「時期」があると思うのです。

がむしゃらに勉強したいときには勉強すればいいし、楽しくのんびりたわむれてたいときにはそうすればいいし、投げ出したくなったら投げ出してもかまわない。

やらなくちゃ、逃げちゃダメ、なんて思いながらすることほど効率が悪くて実にならないことはないと思います。
だって、そこには自分の意志がないんだもの。

「こうあるべきだ」っていうのをぜーんぶとっぱらっちゃって、よろこびを与えてくれるもの、そのときに吸収したいものをどんどん手に取ればいいんじゃないかな。

基本が大切だっていうのはなにをするにも当たり前のこと。
そんな分かりきったことに縛られないほうがいいと思うんだけど。

基本をちびちびやってるうちにキライになっちゃうくらいなら、さっさと興味のあるほうに飛びこんでっちゃったほうがいいと思う。

「基本をしっかり」っていうのはさけては通れない壁だけど、最初から無理矢理、ガチガチにやるものじゃなくって、基本的な知識が必要!!知りたい!!って思う日がきっときます。

そうしみじみ実感して、やり直したい!!って脳みそが叫んでる、そんなときに、ほこりをかぶった入門書や文法書を開いてまた1からガッツリやればいいのだと思います。

だって、つかう場所も、意味も分かんないうちに基礎的な文法や例文ばっかり詰めこんだって、興味がなかったらすぐに記憶のかなたに消えちゃうもん。

若いときに観た映画が、年を重ねてからまた観るとより味わい深く感じたり、気づかずにいた発見があったり、感覚的にすんなりはいってきたり、理解できたりしますよね。

今まで自分が積み重ねてきたいろんな経験や知識、記憶と重なり合って、自分のことのように感動したり、納得できたり。

若い頃の純粋でまっすぐな勢いとはまたちがった、ちょっと複雑で多面的なとらえ方ができたり。

それも、人生を「実際に歩んできた」からですよね。

基本をやるなっていう意味じゃありません。
もちろん、最初の意気込みで基本をマスターできたなら、それはそれで理想的なことだと思います。

でもね、ある程度やってるうちに基本に飽きちゃって、興味が失せちゃったり、意味を見いだせなくなっちゃったら、今はそれを吸収する時期じゃないよ、っていう脳みそからのサイン。

そのまま義務感でつづけてないで、どんどん興味のあるほうに進んじゃっていいんだと思う。

映画が観たいならいっぱい観ればいいんだし、フレンチ・ポップスにいつもより念入りに耳を傾けるのもいいし、フランス人とメールのやり取りはじめちゃってもいいと思う。

生きてるフランス語にふれることでしか、体感できないこともある。
一方的にアプローチしてくる文法書やテキストのような、並んだ文字とずっと向き合ってるだけじゃ、見えないこと。

自信がなくてもヘタクソでも自分の力で発信したり、気もちや状況をどううまく伝えるか、あれこれと考えることはとってもだいじなことだし、必要なこと。

いっくらぶ厚い壁にぶち当たって投げ出したって、江戸時代のお城みたいに開けても開けても終わりがなくたって、パリのど真ん中で失恋したって(これもノンフィクション)
1度もフランス語をキライになったことがありません。

難解なほど惹かれてっちゃうんです。
なんとも厄介な数の数え方だって愛おしいもの♪
恋人みたい・・・「あばたもえくぼ」だよね。

石原さんは大学でフランス語を学んだといってるけど、フランス語や他国文化に対する愛とレスペクトがないからあんな無粋で横暴なことが平気で口から出てくるんだわ。

ちがう国・ちがう文化の中で生きているひとたちと、ことばの壁を自分で乗り越えて気もちが通じ合えたとき、本当に味わったことのないよろこびを感じます。

みんなおなじ人間なんだ、解りあえるんだ・・・というよろこび。

表現できたときや、理解できたときのよろこびがあれば、もっと知りたい、もっと伝えたいっていう欲望のほうが強いから、フランス語なんかやりたくないッ!!とはならないんじゃないかな?

なぁ〜んて思ったりするのですが、みなさんはどう思う?