お寺と神社、教会と大聖堂。

Coucou !!

さっき「神から与えられた」なんてのをやってたら、ブッダの「唯我独尊」を思いだしてしまいました。

そんなわけで、今日はちょっぴり宗教について。

わたしのまわりのフランス人たちとの交流の中で感じたこと・思ったことを主観的に書きます。
だから、みんながみんなこうだとは思わないでくださいね。

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宗教の話はタブー、なんていわれてるけど、相手の宗教について「あれこれ口出しする」のがタブーなのであって、その話題をもちかけてくるのは案外フランス人からだったりします。

「なんの信仰?」なんて、そんなに仲よくなくても会話の中で急にたずねられたりします。
文化のちがいに興味があるからかもしれないけど。

でも、わたしが思うに、フランスって、ヨーロッパの中でも無宗教のひとが多い国なんじゃないかと。

ちょっと事情があって、わたしはいつもロザリオをつけているのですが、それを見ると「えーそれ十字架?」なんてドン引きされたり。
「ばかばかしい」とまでいうフランス人にも何人か出会いました。
ちょっとビックリしましたが、そんな若者が多いのは現実。

そして、たとえ自分がなんらかの宗教に属していても、「神」という存在に懐疑的になっている若者も多いです。

それは、自分が選んだ信仰ではなくて、生まれたときからカトリックの家庭だったりして、いろいろと聞いてみると「実際には信じていないけれど、親を悲しませたくない」なんて仕方なくカトリックでいる友人もちらほら。

だから、カトリックなのに「絶対に教会で式を挙げたくない」と頑固な男の子もいます。
女の子のほうが、ちがう宗教から彼の信仰に改宗してまで教会であげたがっていたのに・・・。

逆にそういうところでは、口出しするのはタブー。

彼女はただ単に別の宗教なわけではありません。
父親はその宗教の教会の神父をしていて、母親はとても信心深く厳しいひとなのです。

そんなご両親に背いてまでカトリックに改宗すると歩み寄っている彼女をかばいたくても、それは彼自身がいちばんわかっていること。

それでも彼女との愛うんぬん以前に、カトリック信者ではあるけれど、教会で式を挙げる =「神の前で愛を誓う」ということ、そこに意味を見いだせない彼にとってどうしても許せないことなのだそう。

ここでは彼らの信仰・信念にはなにもいえないのでした。

一時期は婚約破棄も危ういくらいの冷戦状態でしたが、お互いに打開策を見つけたみたいです。
よかった・・・。

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で、宗教関係の年中行事はかかさずにきちんとやっても、ほかのことに関してはまあなんて寛容なんだろうっていつもおどろかされるのが師匠の家庭。

師匠も、信仰に関しては懐疑的なフランス人のひとりです。

日光でも、にこにこしながら十二薬師のお守りなんか買ってたし。
神社やお寺でのお参りも、なんの抵抗もなかったみたい。

しかも、こないだパリでそのお守りをなくしたらしくって、あり得ないくらいブルーになってました。

「そんなのまた買えるよ」(失礼!)といくらなぐさめても、「せっかく守ってくれてたのに・・・」とマジで泣きそう。
ちょっとあなた、いったい誰を信じてるわけ?

たとえば、わたしは今回3度目の結婚ですが、教会で結婚式をするというはなしにはさすがにビックリ。

「離婚してるから教会ではできないんじゃないの?」
「でもきみは1度も教会で結婚式を挙げてないんだろ?だったらまだ1度も神に誓ったことがないんだから、ぜんぜんオッケーだよ。」と・・・。

えーっっ?・・・っと、カトリックってそんなもんなんですか?
ヘタに既成概念にとらわれちゃうとホントに危険です・・・。

だから自分に信仰があるにもかかわらず、信心深く信仰を厳しく守るひとびとのことを彼らは croyant(e) クロワイヤン(トゥ)「信者」と自分たちと区別して呼ぶのがおもしろいなぁ、と思ったり。

日本の宗教について、よくフランス人にたずねられます。

日本人はだいたい主な信仰がなくて、森羅万象、「やおよろずの神」を大切にする、という考えが日本文化の根底に流れていることは、それに興味があるフランス人にとってはだいたい常識のようになっているようです。

ただ、それが具体的にどんなことなのかはとっても理解しがたいようですね。
日本人のわたしもよく知りませんが・・・。

でも、たとえば山岳信仰のはなしになって、彼らにはそれになんの意味があるのかが分かりません。

「日本ではそれぞれの山に社があってその山の神を祀っている」
「山が荒れたときは人間が山の神を怒らせたのだと考える」

なんてことをはなすと、なるほど・・・となるのです。

仏教 bouddhisme ブーディスム があり
仏教徒 bouddhiste ブーディストゥ がいて
temple / temple bouddhiste タンプル(ブーディストゥ) をもち

神道 shinto / shintoïsme シント / シントイスム があり
それを信じるひと shintoïste シントイストゥ がいて
神社 temple shintoïste タンプルシントイストゥ にいく

なんて日本文化を紹介する本でも読んだことがあります。

師匠に寺と神社のちがいはなんだ、と聞かれ考えてみると、たいていの無宗教の日本人の習慣としてはお葬式や法要・お盆、墓参りなど、死や死後に関することは temple bouddhiste に出かけますが、戌の日参りやお宮参りなどの生に関することや人生の区切りである七五三、結婚式なんかのお祝い事、新年の厄払いや初詣・祈祷などは temple shintoïste でやってますね。

まったく別の信仰なのに、不思議です・・・。

わたしは ne pas avoir la science infuse なので :p このジャンルに関してはうまく説明できませんでした!

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ちなみに、数年前からですが、ZEN ということばをフランスでよく目にします。

最初はブームやモードみたいになってて、このタイトルでアルバムを出すアーティストもいました。

ヨガや武術をやっているひとが多いし、座禅なんかも。
フランスでも ZEN ということばは、ナチュラリストやスピリチュアリストたちの中にすっかり浸透したようです。

このことばとともに、フランス人にお説教されたことも・・・

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お坊さんのことは bonze ボーンズ と呼びます。
これはどちらかといえば、インドから直輸入されたことば?

ちょっと話をフランスの宗教にもどすと・・・

ふつうどこの界隈にも見られる、小さくてこじんまりとした教会のことは église エグリーズ と呼びます。
日本で見られる、結婚式用のチャーチもこれにあたります。

本来は「カトリックの教会」をさし、建物ではなくて「教団」をさすばあいには Église と大文字で記されるそう。

プロテスタント教会の建物は temple とよばれ、これはもともと「(キリスト教・イスラム教以外の)神殿、寺院、聖堂、社」と辞書にはあります。

宗教戦争のなごりでしょうか?

プロテスタント教団は Église protestante エグリーズプロテスタントゥ だそう。

さて、ノートルダムなどの大聖堂は cathédrale カテドラル と呼ばれます。
フルでいうと「司教座大聖堂」だそう。

だから、ノートルダム大聖堂は、フランス語では cathédrale Notre-Dame ですが、パリのノートルダムは単に Notre-Dame de Paris と呼ばれています。

ちなみにノートルダム Notre-Dame とは、このことばを分解してみると分かるかもしれませんが「聖母マリア」のことです。

それでは、つぎはサクレ=クール寺院。
これは、特に教皇から特権を与えられた聖堂をあらわす basilique バズィリック をつかって basilique du Sacré-cœur バズィリック デュサクレクール と呼びます。

神父は一般には père ペール ですが、カトリックの司祭・神父は prêtre プレートル、ローマ法王は le Pape ルパップ とよばれます。

プロテスタントでは pasteur パストゥール, ministre ミニストル「牧師」などと呼ばれるそう。

この話題について書いたらすんごい長くなっちゃうのでまたの機会に・・・