「会話学習法」は・・・ダメっすか?

Coucou !!

ここ何日か、ロクな記事書いてなかったね・・・
いさぎよく放置することもできず。

体調が悪かったからお薬が増えて眠気と闘ってるのも、いろんなことが忙しかったのもあるんだけど、どうやらいちばんの原因はスランプ・・・みたいです。

相変わらずフランス語や語学に関する本を読んだり、書きかけの記事を書き上げようとこころみたりしてるんだけど、発信するパワーがないです・・・

今読んでる本がね、

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なんだけど。
尊敬している野崎歓さんの本だからすっごく待ち遠しくって、届いたとたんに「モチベーションあがるかも!」と思ってソッコウ開いて読んだのだけど・・・

タイミングが悪かった!

わたしが信じている「会話から・・・」「文法はあとからついてくる!」ということにまったく反対、どころか警鐘を鳴らされちゃった!

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文学からフランス語に入って、東大の仏文科にいたころの野崎氏は、フランス文学を原文でがんがんよんでたらしいのだけど、留学前にフランス語を実践でしゃべったのはたった2度だそうで・・・

そのうち1回は、お国推薦の留学生をえらぶテストだったそう。
もちろん、合格。

で、そのあとはフランスに向かう飛行機の中で、隣り合わせたマダムと。
これもおしゃべりがはずんで、連絡先までもらったそうで。

しかも彼の仏文科の先輩、留学先のフランスでさえ、「俺たちはフランス人と話すためにフランスにきたんじゃない!」とフランス人とコミュニケーションすることをものすごく嫌って、決してフランス人に話しかけたりしなかったのに、かなりの知識人に初めてインタビューをすることになったとき、議論が熱くなって数時間も語り合ったそうで。

うーん・・・

脳みその構造がちがうのでしょうか?

わたしはもともと学歴とか資格とか、そういうのは「フンッ実用的じゃないじゃん!」て思ってたんだけど、だからそういうひとたちに説教されようと「その方法はまちがってる」といわれようと、わたしはわたし、と思ってたよ。

でも、野崎氏(おもに斎藤氏だけど)のことばで「文法と基礎をしっかりやっていれば実践には困らない」「コミュニケーションから入ったりするから、ほにゃらら〜」みたいなことを読んでしまったら・・・

彼の考え方やユーモアが好きなわたしには・・・キツイ。
(ちなみに共著の斎藤氏の発言、どうもわたしは好きになれない)

というわけで、途中でほうり投げてしまったこの本。
今夜めげずにつづきを読みます。

ま・・・そんな異次元のはなしを読んでいちいち凹んでたら、一生フランス語なんてものにならないわね。(←負け惜しみ)

だって、あんなにちっちゃいからだで、みんなの期待をすばらしく裏切ってくれた舞の海の精神が、わたしの目指すところだしね。

このブログ、もともと本当のタイトル(現在、裏タイトル)は「学校行けずにフランス語!」だったのよ♪
知らなかったでしょー♪♪♪

情熱と愛があればフランス語で生きていけることを、ぜーったい証明してやるぞ!

我が道を行くのだ!